2020・9 ☆日帰りドライブ・伊豆の国~三島宿
「そうだ、運慶に会いに行こう。」
かつて、東博の運慶展で出会った仏像のことを思い出しました。
うろ覚えだった寺院の名は「願成就院」
場所は、たしか伊豆の・・・で、調べたら、
伊豆の国市でした。
あの辺りならば車で行こうとなりました、
たまには長距離を走らせないといけませんから。(^_^;)
そうなると・・・三島が近いので、
「三嶋大社」へも行ってみたい。
カミさんも、三島で行きたい絵本屋さんがある!というので、
そこへも立ち寄ることにして、
日帰りドライブの予定がさっさと決まりました。
4連休中で天気の良さそうな日にしようということで
21日となりました。
恐らく渋滞は避けられないけど、まっ、いいか!
ということで6時過ぎに家を出ます。
で、東名入ったら断続的な渋滞に突入。
海老名PAまでかなり時間がかかりました、
そこからは割と順調に流れ、
長泉沼津ICから伊豆縦貫自動車道の終点まで。
一般道で少し走り、目的地に着きました。
自宅から4時間半ほどかかりました・・・。
思ったより町中にあるお寺さんでした、
伊豆というイメージもあり、山の中の古刹かなと勝手に思っていました。
寺の前に10台ほど駐められる駐車場がありますが、ほぼ満車。
門前にも3台ほど駐まってます。
意外でした(笑)誰も居ないと思ってたけど。
この4連休、人出てるなと感じましたね(自分らもだけど(^_^;)
小さな門をくぐれば、正面に本堂が見えます、意外と新しいなと感じました、
恐らく目的の仏像はあのお堂の中だとすれば、
セキュリティー対策を施し、諸々と改修工事を行ったはずです。
なんせ「国宝」ですからね、それが5体もあるわけですから。
ワクワクしながら、まずは境内をぶらぶら・・・と言っても
そんなに広くない。
まず境内で目に入るのが右側に置かれている弘法大師の像、
手を合わせ挨拶すれば、若い頃の凜々しいお姿でした。
この日は21日と言うことで、弘法大師の月命日となります。
「南無大師遍照金剛」( ̄ー ̄)
今度は門から見て、左奥へ、
ここには北条時政公の墓所がありました。
あの北条政子の父です。
頼朝公の奥州攻め祈願所でもあったと言われ、
その頃に創建以来の栄華を極めたのですね、
伽藍構成はあの奥州の毛越寺を模したということです。
かつて訪ねた毛越寺をふと思い出しました、
まさに「兵どもが夢の跡」なんとも言えない儚さを感じたものです。
似たような感覚がここでも去来しました。
裏山一体にも及んだと言われる浄土様式の境内は
いくつかの戦火に塗れ、多くの堂塔などが灰となりました。
今佇む場所から、この寺の華やかかりし頃のイメージが
なかなか思い浮かびませんが、
唯一、創建以来、守られてきた仏像のみが
その頃のことを静かに語りかけているようでした。
本堂横の受付で拝観料500円を支払います、
御朱印は3種類有りますが、コロナ対策で書き置きのみ、
日付は入れてくれますが、御朱印紙で渡されます。
しかし、この書き置き方法は、
はたして効果があるのかどうか、なんとも言えませんね(^_^;)
早く戻って欲しいなぁ~と思いつつ、
とりあえず2種類、お願いしました。
帰りまでに日付を入れて渡してくれるそうです。
堂内に入れば、いきなり目の前に運慶仏5体が居並んでいます!
うーん、壮観。
東博以来、久しぶりの再会となりました。
本来有るべき姿で対峙出来ました。
とりあえずギリギリまで近寄り、じっくりと。
お堂に入り、右から毘沙門天立像。
中央に御本尊の阿弥陀如来座像。
左に不動明王三尊、見事な表情のお不動様とその前に並ぶ、
躍動感溢れる制多迦童子と純真無垢な表情の矜羯羅童子。
玉眼の光が時空を越え、運慶の姿を浮かび上がらせます。
・・・完璧です。
堂内を右行ったり左行ったりしながら見ていると
後ろから声をかけられます、
案内係の僧の方で、
あとひと組入れば少し説明させて頂くとの事、
少し辿々しい日本語だったので振り向けば、
外国の方でした。ビックリ。
であれば、むしろ流暢な日本語です。
白人の方だったのでどういう経緯だったのか、
少し興味が湧きましたね。
実にあっさりとした簡単な説明が終わりまして、
次に本堂裏に隣接する展示室へ行きました。
狭いスペースながら、
とりあえず寺宝の数々が展示されています。
釈迦涅槃図、曼陀羅、生前の北条政子を表現したとされる地蔵菩薩、
運慶仏の胎内に発見された塔婆形銘札が4枚、
よく見れば「運慶」と書かれています、字が上手いなぁと感心しつつ外へ出ます。
ちなみに本堂中央の阿弥陀如来座像は現在、
光背と蓮華座を制作中とのことで、
あと1年後には新しい姿でお目見えするとのことでした。
それはそれで楽しみですが、また来るかと言われると・・・。
まぁ、縁があれば。
ふと寺の右隣を見れば、鳥居があるので
一旦、寺を出て近くまで行ってみると「守山八幡宮」
戦勝の神様ですよね、頼朝公の気配を感じます。
石段を上り舞殿へ、さらにその奥を見ると凄まじい石段が・・・。
社殿はこの上にあるんですね・・・八幡様には下から手を合わせておきました。
【筋力UPのために上った方がいいんだけど・・・( ̄▽ ̄;)】
願成就院エリアを後にして、三島市内へと車を走らせます。
30分もかからずに着きました。
適当な駐車場に車を止め、歩いて散策します。
三嶋大社からJR三島広小路駅間が三島大通り商店街。
どこか懐かしい昭和チックな店舗が多いのですが、
たまに今風のおしゃれな店が(笑)
やはりどこかに宿場町の風情は感じられます、あちこちに細い川があり、
水量豊富でにごりの無い水が勢いよく流れています。
この水の流れだと邪気を払いますね(^_^;)
富士の伏流水のパワーを感じましたよ。
駐車場からすぐの所にある「えほんやさん」は
絵本作家 えがしらみちこさんのお店です。
御本人の作品はもちろん充実しておりますが、
他も良いセレクトで見ていて時間を忘れます。
店の奥にはカフェもあるそうですが、コロナのせいで
閉めてるそうです。
小さい店なので仕方無いですね。
ランチは有名なウナギでもと思いましたが、
どこもかしこも並んでます。
一番有名なのは「桜家」さんなんですが、やはり一番の行列でした。
軽く1時間待ちでしょうかね、間隔も無く完全に「密」ってましたが、
もうそんなん関係ないって感じでしたけど(笑)
見渡せば、一番空いてるのはバーガーのウェンディーズ、
久しぶりに食べました。
最後は「三嶋大社」へ
源頼朝が源氏の再興を誓い旗揚げした場所としても有名です。
名前は知っていましたが、詳しくは知らない、
そこで先ず、祭神を確かめれば、そこには二柱の名が、
まずは山の神様として有名は「大山祇命(おおやまつみのみこと)」
日本書紀と古事記では若干名称が違うので
「大山津見神(おおやまつみのかみ)」とも言われます。
以前、登った神奈川の大山にある「大山阿夫利神社」の祭神でもありました。
イザナミとイザナギの御子であり、
あの富士山の祭神「木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ)」の父です。
父はこの三島から富士山(娘)を見守り、娘は豊潤な恵みを
この地に与えているわけですね。
「木花之佐久夜毘売」はアマテラスの孫、瓊瓊杵尊の妻になるので、
天孫が国土の七割を占める山神の霊力を得て、
国土を統治する正統性を持ったとされています。
もう1柱は「積羽八重事代主命(つみはやえことしろぬしのかみ)」
事代主神(ことしえおぬしのかみ)の多くある別称のひとつですが、
中でも、一番親しまれている別称と言えば「恵比寿大神」となります。
父は国譲りで有名な「大国主命」になります。
で、大国主命の父は素盞嗚尊で素盞嗚尊と大山祇神の関係と言えば、
素盞嗚尊の義理の父の父だったっけ?
で、元を辿れば同じ父と母という考え方も出来るから、
その辺りは複雑ですねぇ~。
こうしてみると、実に面白い組み合わせの二柱ですね、
この二柱の神を総称して「三嶋大明神」と呼んでお祀りしています。
三嶋大明神を篤く信仰した頼朝により、
武人の守護神としても有名になり、多くの武家から崇敬されたとのことです。
大鳥居から一礼して境内へ入ります。
まずは神池があり、池内の厳島神社に一礼して進みます、
総門をくぐり、進めば神門へ、右に神馬舎がありました。
で、舞殿があり、やっと本殿となります。
いや~立派な神社です。
この日は結婚式が多いのか、居る間に二組ほど見ました。
やっぱり神前結婚はイイね(´∀`)
今年はコロナ禍で結婚式を予定していた方々はホント大変だったと思いますよ、
だから、この日のように結婚式を行っていた方々を見ると
正直、少し安心しました。
京都の八坂神社よりも混んでた三嶋大社で参拝を済ませ(笑)
境内をぶらぶら。
最後に社務所で御朱印を頂きました。
こちらも書き置きでしたが、神社のは、
まぁ、朱印が大きいので
これでもいいかなと思います。
三嶋大社を出て、土産物屋を物色して、
三島コロッケなどなど買って
帰宅しました。
渋滞を考え、少し早めに出ました。
途中、横浜辺りまでダラダラと混んでましたが、
往路よりは時間かかりませんでした、約3時間強かな・・・(^_^;)
今回は、なかなか機会がないと訪ねられない場所、
伊豆の国市と三島市を少しぶらぶらしてみました。
願成就院の運慶仏5対にも久々に会えたし、
宿場町の風情が香る町並みを歩き、有名な三嶋大社にもお参り出来ました。
日帰りだったけど、楽しい一日でした。
by opaphoto | 2020-09-22 23:00 | 神社・仏閣・仏像